つくる ≒ 考える

20060726
・自然の模倣は「正解」がある創作である.無条件で自然を美しいと感じてしまう以上、それを模したものが美しさを手に入れるのは当然ではないか.模倣作品は常に、自然という「無条件に最上とされる対象」との関係性の中で判断される. 正解のある創作はそれ自体目的化してしまう.どこをどう描けば、見た目を自然にすることができるのか、なにをすればよいのか、視覚通りに再現することは作品を物理的に成立させる1つの技術に過ぎず、全体的な作品を作るのは、作品の後方にあるコンセプトや哲学である.
・自然崇拝 ≒ 自然を最上のものと考える無条件な(思考の停止した)自然崇拝は、本能に起因するとも考えられるが、獲得した価値観でもある.自然⇔人工の対比も同様.自然から離れて人工物を増やすことが世の中の傾向にあるならば、もちろんそれに対する反動が起こるわけで、どちらの概念も超克する必要がある.正論のように聞こえる内容であり、注意が必要.
・自然に価値を見出すことは創作における発想の点にも持ち込まれている.自然に発生した発想を尊び、情報や固定観念にさらされた発想を劣ったものとする.
・もはや現代の環境は自然のみではない.自然を環境として無視できない比率含んでいた時代の心情が引き継がれている.人工物のみからなり、人工物の持つ効率やバランスで支配される世界が存在するということ.人工物も、もとをただせば自然物からの引用であり、究極は自然に帰納される.それは事実であるが、人間が生物である以上必然的に出てくる問題であり(自然(→ 化学反応)を離れては生きられないから)そのようなことを問い続けるのは不毛である.
20060904
・表面が持つイメージや、質量が持つ説得力.フォルムが持つ性格.これらを自由に操って表現すべきである.そこにはおのずと自分の趣味感覚が表れ出る.
・すべての表現は、過去に自分の見た情報の収斂とその劣化コピーによって成り立っている.ここでの「劣化」は、オリジナルに対する忠実な再現性を想定しての「劣化」である.ソースがそれであると特定できるような表現は避けられるべきという考えから、この「劣化」の度合いが激しく、原本を同定できないほどよい.
20060915
・塊を、心地よいように足して引いてゆく、その結果できあがる作品.
・今までに見た心地よい表面や質量、それらが自分の中で堆積し、形が無くなるまで発酵し、自分の中で抑えられなくなって自然と噴出してくる.情報の入力と出力のバランスには個人差があるが、多くの場合、入力が行われれば、出力は自然の欲求として発揮される.
・表面が持つ「張力」に注目した作品.「ピンと張った感じ」の箇所と「緩やかに曲線を描く」箇所を込める.
20070315
・事前に予測を立て、それに沿った創作を行う.では、その予測の範疇を超えた物が出来上がったときは、どのように考えるか.まずは結果について判定を加えるべきだろう.そしてその結果を受容するか拒否するかを決める.ただ、結果に判定を加えるその行為もまた、己の範疇に収める行為であると言えないだろうか.どのような結果も、自分の行為の結果として等しく受け入れる.これが理想である.ただそれは、無自覚無批判と紙一重であり、経験と感性を十分に兼ね備えた作家にのみ許された行為かもしれない.
20070329
・主義の違う内容や行動形式をとらなければいけない場合について.大半が批判や判断をサスペンドした状態で周囲に倣うような慣習や文化は、それ自体の内容が希薄にもかかわらず、存続する性能を持つにいたる.伝統・文化の一側面だが、けしてそれのみでは伝統・文化の要因となりえない.
20090618
・絶えず変化し,留まることなく,ただその概様が“それ”だと認識される.たとえば波の形やひるがえる袖の形,コップの中の氷の形.
・工業機械や戦闘機,それらが持つフォルムは自然(重力,力学)環境(使用条件)に対応すべく進化した結果のものであると.自然の生物・非生物が途方もない時間をかけて進化[味付けの要素がない,純粋に生き残り,『より○○に』という目的のための結果である]したように.そして人の手によって絶えず進化が加速させられている結果,自然界の百万年にあたる進化を,数日,数ヶ月で遂げることになる.それ[進化の結果得たフォルム,機能]は自然に対する勝利…とは言わないまでも自然の中にある人工という“存在の集合”が出した一つの解である といえるだろう.→ 自然の進化は無目的か?
20090620
・花から骨へ.最終的に目指す形を設けずに各部のバランスとボリュームによって構成した形態が,かつては花の模倣のように映り,今は骨のように映る.花を作ろう,骨を作ろうとしているのではないところが重要なように思う.似せようとすると似ないが,ある程度制約なく行ったほうがそのものを感じさせる形態を生む.
20090623
・ビデオゲームが作られて以降の子供たちは 童話を読むように,山野で自然と戯れるように仮想世界の物語を享受してきた.物理的刺激は極めて微弱ながら,空想の世界における共感,想像,達成感,時には道徳観まで,映像の世界から得ることができる.これからもそれはかわらないだろう.もちろん,物語の飽和状態による傾向の変化,それにユーザーの多様化という要素が加われば,必ずしも望ましい世界が描かれるわけではない.しかし,そう考えてもなお,仮想世界のもつ自由度や破格の可能性は魅力を失わない.仮想空間を手の届かない空想から現実に近付ける.そのためのアイテムをつくる.
20101030
・創作物が,私にとってのピグマリオンでしかないなら,それを衆人の視に曝すことは,夫自らが妻の(もしくは親が児の)女衒を演じていることになるのだろうか?
20110916
・夜に溶けてゆくようなカタチを,圧倒的な人工に 都会に 消費社会に コンビニのある街に 摩天楼と呼ばれる場に溶けてゆくような,耳障りのよい自然崇拝を一蹴するような作品を.
20111030
・圧倒的な委任と無関心,無知によって得た環境が生む美学.自然との対立関係にない“人工”が生む 身体をはるかに超えたボリューム,これらと調和するようなカタチを.
20120212
・surfacism( ≒ 表面主義・上っ面主義)という方向を取ろうと思う.「物体の表面に囚われるな.作者のバックボーンやハイコンテクストを意識した作品でないと意味がない.」と人は言うが…
→ バックボーンなら表面に込めた.ハイコンテクストが欲しいなら舐めるように物体を見ていただこう.あくまでもバランス・タイミングを意識し,かつ破格をやってのける.フォルムの破格が課題.

















 


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